2017年8月4日金曜日

自己肯定

物心ついた頃からいい大人になるまでずっと、鏡に映る自分の顔を好きだと思ったことがほとんどなかった気がする、というか好悪というより生理的に受け付けなくて、自分をかわいいだなんて思ったこと全くなかった。母は、手伝ってくれる親戚が近くにいない環境での子育てに必死すぎたのか、長女で一見しっかり者のわたしが心の奥で何をどう感じてるかに気を配る余裕がまるでなかったようで、「周りからかわいい子だねってよく言われたし、あんたが自分のことかわいいと思ってないって知らなかった」と言われたのはつい最近のことです。お勉強はそれなりにできても弁は立たない質だから感じてることを言い表せなかったし。お転婆でやんちゃに遊びまわる一方で本もよく読んだり、多分すごくエネルギーのある子供だったけど(だからか?)自己イメージはずっとアンビバレンツだったし、思春期はだいぶこじらせたなと。無条件に自分を受け入れてもらった感触が、少なくとも記憶の上にはあまり残ってなくて。過不足なく育ててもらって、与えてもらったこといっぱいあるはずで、欠けてるとこにフォーカスを当て過ぎてるだけなのかもしれないけど、実際にメンタルに問題も生じたし。

話は変わって、母は音楽がとても好きな人で、かつては歌もめちゃくちゃ上手でした(父は音痴)。母の弟二人は口をそろえて「姉ちゃんのおかげで音楽が好きになった」と言ってたな。子供の頃は家に母が弾くマンドリンとギターがあった(けどわたしは音色が苦手で興味を持てなかった)し、台所にはいつもラジオがあって、台所ってのはどこの家もそういうもんだと思ってた。自分が親に音楽をやらせてもらえなかったから子供には習わせたかったそうで、幼稚園の頃からヤマハ音楽教室に通わせてもらって、中高は吹奏楽部で楽器も買ってもらえたし、それがあるから今の自分があるわけですが。

バンドに参加して初めてライブハウスで演奏したのが十年くらい前で、できることをただただ必死にやる中で、いろんな出会いによって様々な経験をさせてもらいました。そこで楽器だけ演奏してればよかったのかもしれないけど、何でまた下手くそなひきがたりを始めたかというと、歌詞も含めての曲作りが興味深いということもあるし、子供の頃ずっと楽器の演奏を通じて「歌う」ことが好きだったので、楽器で歌えるんなら、どうせなら生身の自分でも歌えるようになりたいと思ったし、深層意識では、結婚と子育てにひたすら必死だった母の心のよりどころだったであろう「歌」に対する良い刷り込みが多分にあるんじゃないかと思ってます。ひょっとすると胎内レベルで。エレクトーンを習ってた小学生の頃は弾きながら歌うということが全くできなくて(頭の中で演奏と一緒に歌っちゃってたからだと思う)、歌みたいなものを作ろうとしてみたこともあったけど、がっかりするくらい陳腐なものしか出てこなくて、音楽を作るというのは生まれつきそういう才能のある人がやることなんだろうと思って早々に諦めたような記憶がおぼろにあります。だから、自分が楽譜なしで演奏できたときは本当に驚いたし、ましてや曲を作れるだなんてあり得ないと信じ切ってたので、やれるとこまでやってみたくて。

そこで改めて浮上してくるのが自己肯定感の希薄さです。

五月に音色でライブに出たあとに某伸明さんとメールのやりとりをしたとき、「光」という曲はお褒め頂いたのですが、「みやもさんのみやも感は、ほんと暗くて重くてブスって感じ!」(←原文ママ)との衝撃的な一文が。何を~~!失礼な奴め!と思ったけど、冷静になって考えてみると、たしかにその通りなんですよね。鈴木さんは何をどのように表現するかということにすごく自覚的な方だし、付き合いも長くなってきたし、真摯に演奏を受け止めてくれたからこそ、そこまで伝わってしまったんだろうなと思いました。とてもショックだったけど、言ってくれてありがとう。そして、言い方は大きく違えど(笑)同じような意味合いのことをお手伝いしてるお店のボスにも言われたりするので、そこらへんをどうするかが今後の大きな課題なんだろうなと思ってます。

音色のことも書こう。人のサポートに回ることは好きでも、自分から率先して人と何かをやることはすごく苦手だから、自分の音楽を人とやるのは無理だろうなと最初は思ってたんです。けど、マリンバの寺さんとはDrawingsに始まりキルケやteraのサポートやキスミワコちゃんのバッハーンで一緒に演奏してきて、音楽の好みも合うし、ウクレレとマリンバの相性も悪くなさそうだから、一緒に何かやらない手はないんじゃないかと思って、まずは二人での練習を始めて、ほのぼの感を打ち消すためにエレキギターに入ってほしくてスタットで出会ったサガイくんを勧誘して三人での「音色」となったわけです。変則的な編成で、自分の演奏に二人に自由に加わってもらいつつ文句はつけるという形は、二人の演奏や感性に対する信頼感が根底にあってこそ成立し得たし、逆に、二人の心的負担は大きかったのかもしれません。でも単純に、二人と仲間でいられることも楽しかった。なんか、小学校六年生くらいでクラスは違うんだけど放課後に一緒に遊んでるような感じかな、とふとイメージしたことがありました(そのあと、「ちはやふる」かよ!と気づいて自分で自分に突っ込みました)。おんがくのじかんの菊池さんに「音色はみやもさんが良くなればもっと良くなるね」と言われたから、自分の歌とウクレレをよりいっそう頑張れた面もあったし。「三月」を配信リリースしたあと、五月のライブに向けてスタジオ練を始めたら、みんな忙しすぎて思ってた以上に練習がはかどらず、わたしも体調そんなによくなくて、これは、このまま活動を続けるにはけっこう無理があるんじゃないかな~と思い始めて、それぞれ家庭の事情などもあり、活動休止しようということになりました。先のことは何も決まってないので(飲み会しようという口約束だけはしてる笑)、ひょっとしたらこれが最後のライブになるかもしれないと思ったら本番でわたしは逆に変に力が入ってしまって心残りな演奏になってしまいましたが、二人はいい演奏していてさすがでした。自分の力不足を再認識したけど、もしまた一緒にやれるときには成長した自分でいられたらいいなと思います。遅咲きの音楽活動、スタジオでの練習時間も含めると、自分にとってはこれまで一番多くの時間一緒に演奏したきたであろう二人に感謝。わかりにくいけど実はいろいろめんどくさいわたしと一緒にバンドやってくれてありがとう。



















シボネボルケ「バー人魚」にて。友達が撮ってくれました。
いくらBGMだからって、壁に向かってひきがたらなくても、と笑われた。たしかに。
 

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